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ちくま学芸文庫創刊25周年 後編 [ブック]




創刊25周年を盛大に祝いたかったのですが…
結局、マイ・ライブラリーから見つかったちくま学芸文庫は、これ1冊きりでした

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武満徹対談選 仕事の夢 夢の仕事 ちくま学芸文庫
世界でもっとも知られている日本人作曲家、武満徹。一方で「武満徹の名を多くの外国人外交官は知っているが、日本人外交官は彼を知らない」と語られることもあった。しかし武満の思想や、その遍歴を知れば、彼の曲は驚くほどスムーズに楽しめる。本書では、ジョン・ケージ、秋吉敏子らの音楽家や、大竹伸朗等の芸術家、そして黒柳徹子など幅広い分野の人々との対談を通じ、闊達で柔らかな「武満徹」を紹介。また彼の衝撃的な音楽との出会いや、西洋音楽との葛藤、日本文化への思い。そして全ての枠を超越した音楽に至った作曲家の軌跡をたどる。単行本未収録対談も収める。

上記内容紹介文にもある通り、世界的な作曲家である武満徹のことを日本人は知らないんですよね
これはあまりに残念なことなので、黒柳徹子に彼のことを紹介してもらいましょう

黒柳 今日のお客さまは、もう日本だけじゃなくて、世界にその名がとどろいてらっしゃいます。作曲家の武満徹さんです。
こんにちは。なんか、あの寒い、もうたいへんなニューヨークからお帰りになったばかりですって?
武満 そうです。十日ぐらい前でしょうか。
黒柳 ほんとに寒かったですか。
武満 うーん、僕は何回かニューヨークに行きましたけれど、こんなに寒かったのは初めてでしたよ。
黒柳 雪なんか積もってる?
武満 僕が帰る間際は、寒波が来て吹雪だったですね。
黒柳 なんかニュース見てたら、渡り鳥やなんかがバタバタ死んだり、道路が吹雪で動けなくなった車の列で。車の中で凍死した人もいたとか。カリフォルニアのほうでも、もうオレンジとか、ああいうもの全部とれなくて、ほんとに、かなり深刻に大変みたいでしたね。
武満 送らしいですね。呼吸が苦しくなってね。それで胸が痛くなるんですよ、あまり寒くて。
黒柳 うわあー、大変。
武満 あんなこと、はじめてだったです。
黒柳 でも、お小さい時は大連でお育ちになったんでしょう?
武満 そうです。約七年ぐらいですが。
黒柳 そこはそんなに寒くなかった?
武満 いや、寒かったんだろうと思いますけれど。(笑)ぜんぜん覚えてないんですね。
黒柳 そうね。子供の時ってあんまり……そんな、おとなほど寒くないのかもしれない。
武満 僕は、あんまり寒いとか暑いとかっていうことは、気にしない性質(たち)なんですよ。それでも今度は、ちょっと寒かったですね。
黒柳 ニューヨークは、演奏会?
武満 そうです。演奏会で。
黒柳 武満さんの作曲のものを、あちらで?
武満 ええ、僕の作品と、ベートーヴェンの五番。
黒柳 ふ、ふ、ふ。……組み合わせが、ずいぶん……。
武満 それはもう、たいへんな組み合わせですけど。ニューヨーク・フィルの定期演奏会ですから。
黒柳 ニューヨーク・フィルが演奏!
武満 はい。
黒柳 わーッ、素晴らしい。それで指揮はどなたがなすったの?
武満 ピエール・ブーレーズっていうフランスの……現在、あそこの音楽監督ですけど。
黒柳 ニューヨーク・フィルの?
武満 はい。
黒柳 いかがでした? できばえは。
武満 とってもよかった。昔書いた作品ですけどね、六三年……。まだ、日本では全曲やったことなくって。
黒柳 それは、西洋楽器ばっかり出てくるんですか。
武満 そうです。オーケストラとピアノの、まあコンチェルトみたいな作品ですけど、長い作品。四十分近くかかるものです。でも、まあ、ニューヨーク・フィルの定期演奏会の会員っていうのは、どっちかっていうと、保守的なお客さんが多いわけです。年取ったお金持ちの人たちとかですね。だから、演奏が終わったとたんに、半分くらいの人が「ブウウー」っていいました。(笑)
黒柳 まあ。
武満 それと、まあ、もちろん半分ぐらいは、「ブラボー」っていうのとね。とってもおもしろいです。
黒柳 はーあ。やっぱり「ブウー」っていうのがないと、励みになりません?
武満 あんまりねえ……。僕は今まで外国で「ブウー」っていわれたことないんですよね。
黒柳 はあ。
武満 というのは、僕の音楽は割合と静かで、終わる時、なんとなく気が滅入るようになってね、あんまり「ブウー」なんていう気は起こんないですよ。(笑)
黒柳 ハハハハハ……。
武満 でも、今度は、とってもねえ……。だからちょっと嬉しかったですけれど。
黒柳 ああ、反応がはっきりして。でも、普通「ブウー」っていわれるとがっかりする方が多いけど。
武満 あんまり……。日本の音楽会だとね、そういう「ブウー」とかって、お客さんの積極的な反応っていうのがないんですよね。
黒柳 ええ。
武満 割合とおとなしくって、みんな適当に拍手して……。
黒柳 いずれにしても、拍手する。
武満 終わっちゃうでしょ。そういう意味では、外国でやると、とてもおもしろいですね。
黒柳 そうだ、武満さんの徹(とおる)っていうのは、あたくしの徹子とおんなじ字なのね。ほ、ほ、ほ……。武満さんの作品は、もうずいぶんたくさん外国で演奏されてるでしょ?
武満 そうですね。それ、いいことか悪いことかわかんないけれど、外国で演奏されるほうが、ずーっと多いでしょう。
黒柳 ねえ。
武満 まあ、ほんとうは日本で演奏されたほうが、いいと思いますけどね。
黒柳 あたくしなんか、非常に、一般的って言うと変ですけど、ぜんぜん音楽的じゃないので。
武満 とんでもないですよ。
黒柳 武満さんの音楽っていうとね、“バシッ”とかね、“ビーンヨヨン”とかね、ああいうふうに思うんだけど、それはいやなこと? そういうのばっかり言われちゃうと。
武満 それが目立つんでしょう。僕はね、どっちかっていうと非常にロマンティックで、自分では、僕の音楽はほんとに、ショパンの音楽のようだと思ってますけどね。(笑)でも、だいたいそういうふうに言われてますね。
黒柳 はあ、なんかとっても、心のなかに鋭くパシッとはいってきたりね、なんか、ハッとするような、そういうふうな部分を、きっとあたしたちは際立ってキャッチしてしまって、ほんとの武満さんのもってらっしゃる、こういうロマンティックな……。
武満 確かに、そういう面もあるんでしょうね、たぶん。
黒柳 いつ頃から音楽がお好きになったの?
武満 僕は、戦争が終わるちょっと前からです。ですから、何年ぐらい前かなあ……もう三十数年になりますね。
黒柳 その前は、音楽っていうのには……?
武満 いえ、ぜんぜん興味なかったです。
黒柳 お父さまも、音楽家じゃなくてでしょ?
武満 ええ、親父は普通の、ごく平凡なサラリーマンでした。
黒柳 へえ。で、大連にいらして、日本に帰ってらして……。
武満 ええ。でも僕は、東京のおばの家に預けられて……父たちはまだ残ってましたから。
黒柳 ああ、大連に。
武満 それで、東京で小学校に……まあ、自分が東京の小学校に行きたいと言ったらしいんですけれど、それはなぜだか憶えてませんけどね。まあ、おばさんがちょっと、琴を弾いたりしてました。で、よく琴を聴いてましたけどね。だから僕は邦楽器を使って作曲したりしますけれど、どうも琴は使えないんですよ。
黒柳 あら?!
武満 なぜかっていうと、それはなんか幼児体験だろうと思うんですよ。(笑)
黒柳 普通、幼児体験っていうと、それ使いたいと思うけど……。
武満 なんかね、その時はとっても、いやでいやでしょうがなかった。
黒柳 く、く、く……かわいいのね。
武満 静かにしろとか言われてたでしょ、だから……。
黒柳 あ、そう。じゃ、あんな尺八とか、たくさん日本の楽器お使いになるけど、お琴ははいんないの?
武満 使ったことないんですよ、残念ながら。
黒柳 それで、いつ、今おっしゃったようにその音楽を……?
武満 それは、戦争の終わる前一年ほど、中学から勤労動員っていうのに行ってたんです、山ん中に。
黒柳 はあ。
武満 陸軍の食料基地をつくりにですね、埼玉県の奥のほうに。山ん中に、道つくって、倉庫をつくって、その中に缶詰やなんかいっぱい。……本土決戦に備えて、やってたわけですよ。で、そこに学生だけで、兵隊といっしょに住んでて、終戦間近に……あの頃、学徒出陣っていうのがあって、学生で兵隊になって来てた人がいるわけですね。その人がある時、僕たちの宿舎にこういう蓄音機……蓄音機っていうのは非常に古い言い方だなあ。
黒柳 手回しの?
武満 手回しのね。
黒柳 ええ、ありました。
武満 竹針のね。
黒柳 あ、竹針の。当時、金属がなかったから。
武満 そうなんですよ。それで、ある音楽を聴かしてくれたんですね。で、それまでは毎日、僕たちの音楽的な生活っていうのは、だいたい兵隊といっしょに軍歌をうたうとかね。むずかしい、わけのわかんない軍歌ばっかりうたってたわけ。いやでしょうがなかったですけど、でも、その時に、なんかフランスのシャンソンを聴かせてくれたんですね、ジョセフィン・ベーカー(注)の……。それは後からわかったんだけれど。それを聴いた時に、音楽っていうのはなんていいもんだろうと思いましたね。
 (注)これは武満の記憶違いで、のちにリュシエンヌ・ボワイエ『Parlez-moi d'amour』であると判明(編集)
黒柳 ふーん。
武満 それまで音楽なんて、積極的に自分から聴こうと思ったことはなかったから、非常にハイカラに聴こえたしね。なんていうんでしょう、キザっぽくなるけど、非常に自由ってものを感じましたね。で、それから僕は、音楽に、かなり積極的に関心をもつようになって、それで終戦になって、あの頃、進駐軍放送っていうのがありましたけど、WVTRっていうのが……それで、しょっちゅう音楽を聴いてたんですよ。……トスカニーニとかワルターとか、そういう有名な人がやってましたでしょ、毎日のように。で、それを聴いてて、まあ、シャンソンのほうじゃなくて、僕はクラシックのほうに興味をもっちゃって……。だけどね、日本にああいうベートーヴェンのような音楽を書く作曲家っていうのは、誰もいないんじゃないかと思ってたんですよ。まあ、それは全く僕の無知であったわけだけれど。
黒柳 はあ。
武満 で、なんとかしてこういう作曲家になりたいと思った。つまり、僕は音楽をやりたかったんだけど、ピアノもさわったこともないわけだもんね。でも、なんとかオタマジャクシを書く仕事をやりたいと思ってね。……「たぶん、こんな音楽は、日本人誰もやってないから、僕が、日本でいちばん最初の、シンフォニーとかコンチェルトとか、そういうものを書く作曲家だろう」っていうふうに、しばらく長いこと、がんめいに思い続けてたことがあったんですよ……。でも、そうじゃなくて、ある時、街へ出て、なんか音楽会のポスターを見たら、日本人の作曲でピアノ協奏曲とかヴァイオリン協奏曲っていうのの発表会があったんですね。
黒柳 ふ、ふ、ふ……。
武満 はあ、こういう人がやっぱりいると思って。その時は非常に嬉しかったですよ。
黒柳 で、行ってごらんになりました? それに。
武満 ええ、行ったんですけどね。僕はあんまり苦労話みたいのするの好きじゃないんだけど。
黒柳 ええ、でも、ちょっとおっしゃって。
武満 ……行きたいんだけど、音楽会の切符買うお金がないから、なんとかただで潜り込めないかって……。それ、日比谷公会堂だったんです。でも、その頃、東宝交響楽団っていうのがあったんですね。そこがやったわけだけれど、日比谷映画劇場のちょうどま裏に、ちっちゃな事務所があったんです。そこに行って、「なんとかすいませんけど、ただで入れてください」って頼んだんですね。そこに非常に親切な、やさしい人がいて、「いいでしょう」って、切符くれたんですよ。
黒柳 下さったの?
武満 そう。それで、「僕は作曲をやりたいんだけど、誰か」……その頃、なんだか知らないけど、もうすでに作曲を始めてたんですね、僕は。
黒柳 ご自分で?
武満 ええ。
黒柳 独学っていうと変だけど……。
武満 独学っていうのかなあ、ああいうの。まあ、独学っていうんでしょうね。でもまあ、少しいろんな本を読んだりね。
黒柳 へーえ。でも、とにかく学校にはいらっしゃらないで?
武満 うん、学校はぜんぜん行かなかったです。
黒柳 ほう。
武満 学校は、もう終戦になってから、ほとんど行かなかったです。
黒柳 まあー。
武満 というのは、学校に行っても、だいたい先生が出てきて、「どっかに、うまい、安く買える米はないか」とか、そういうことばっかり生徒に聞いてたからね。ちょっと失望したわけ。まあ、感じやすかったんでしょ、たぶん。だから、今より純粋だったのね。だからもう、学校には、僕は行かないと思って……。まあ、古本屋さんへ行ったりして、時々学校に行く時は、学校においてあるピアノにさわりたくてね。
黒柳 そうすると、学校っていうのは、当時はどこですか。
武満 僕は本郷の学校に……。
黒柳 高校?
武満 ううん、中学の終わりです。それで、終戦になって、新制高校に切り替わる頃ですね。
黒柳 そして……。話がもどりますけど、その小さい事務所へいらしたら、切符を下すって、それで作曲の……?
武満 先生を紹介して下さった、その人が。で、僕の作品を見てもらいたいと思ってね、それは清瀬保二さんって方ですけど……。
黒柳 その、紹介しておもらいになった方が、清瀬先生?
武満 ええ。
黒柳 でも、そこの事務所にいらした方が、とても、御親切でしたのね。
武満 そうなんです。その方、それから二年ぐらいして亡くなっちゃったんです、病気で急に。だから、僕の非常にだいじな恩人なんですけどね、心臓だったんです。……僕、たぶんね、もう、なんか自分のことしか考えてなかったんです。……だから、その演奏会に行ったときも、その作曲家つかまえて、なんていうと悪いけど、話して、感想を言ったりね。早坂文雄さんっていう人だったんです、その方は。早坂さんっていうのは、『羅生門』の音楽書いたり、映画の音楽書いたり……『七人の侍』とかね。あの方のピアノ協奏曲をやったわけですね。
黒柳 ああ、その日比谷公会堂で。
武満 そう。
黒柳 その早坂さんの、要するに、今になってみれば音楽会だったわけですか? それが。
武満 そうです。早坂さんと伊福部昭さんっていう人の作品をやったんですよ。
黒柳 それでそのときは、感銘はお受けになった?
武満 ええ、たいへんね。びっくりしました。それで早坂さんに会ったら、「君、いくつ?」って言われて、「十七歳です」って言ったら、「若くていいなあ」って言われたのを、よく憶えてますよ。(笑)
黒柳 は、は、は、そうですか。それがまあ、作曲の世界に踏み出す第一歩。
武満 そうですね。

黒柳 そうそう。武満さんの音楽っていうと、ピシッとか、パシーッだけじゃなくて、今ここの局で放送してる『冬の虹』ってドラマの、あの美しい音楽も。ほ、ほ、ほ……あたくしも、出させていただいてる。
武満 作曲、へたくそでしょ。(笑)
黒柳 いいえ、すごく……そう、ショパン的。(笑)ロマンティックです。
武満 すいません。僕は大好きなんです、ドラマのために音楽を書くとか、映画のために音楽を書くっていうのは。ほんとに楽しいです。
黒柳 どういうこと? 映画、たくさん作曲してらっしゃるけど。
武満 そんなでもないですけど、まあ、それでもずいぶんやってますね、好きで。
黒柳 ずいぶん、いい作品の……話題作の映画の音楽してらっしゃる。どういうとこがおもしろいですか。
武満 それは、まあ普通、僕が書いてる作品の場合は、だいたい、自分が独りで、自分の部屋の中で閉じこもって音楽やってるわけですね。で、いつも僕、数ヵ月……四ヵ月ぐらい、信州の山に、ちっちゃな小屋をもってて、そこに行って独りでやってるんですよ。だけどドラマなんかやると、いろんな人と討ち合わせしたりするでしょ。それから、ふだんは書いてないようなことを、要求されることがあるわけですね。だからどうしても、ドラマのテキストを読んで、それに引っ張られて……ちょうど、俳優と同じだと思うな。演出家や台本によって、自分の知らない面を引き出されるってことが、とってもあるんですね。だからそれはとってもおもしろいし……。なにしろ音楽は、独りで、お風呂のなかで鼻歌うたうのも、すごく楽しいことではあるけれど、でも最低一人とか、二人、三人とか四人とかって、いっしょに音楽やれば、もっとおもしろいわけでしょ。
黒柳 はあ。
武満 それと、僕たちの、ピシッとかなんとかっていう音楽は、なんかあまりにも……そういう芸術音楽っていうのが、僕たちの日常の生活から遊離してきてるわけですね。……昔は音楽は、だいたい、いろんなお祭りといっしょだったり、宗教とくっついたり、たくさんの人の生活とくっついてたわけでしょ。それがだんだん、みんなそれぞれの専門分野が狭く、小さくなってきて、みんな独りっきりになってきちゃって。で、そのなかで専門的な音楽評論家が「うん、あそこはなかなかよくできた」とかね。つまらない、あんまり普通の人に関係のないようなことで、成り立っているようなとこがあるでしょ。だからそういう意味では、僕はテレビのために……こういう新しいメディアのために仕事をするってことは、とても大事だと思うんです。だから、一所懸命やりたいと思うのね、いつも。映画なんかでも。
黒柳 はあ。
武満 近頃の映画の状況っていうのは、だんだん貧しくなってきてて、映画を撮り終わってから二日後に、音楽入れてくださいなんてことがあるから、そうすると、ちょっとできなくなってくるんですよね。
黒柳 まあ。でも、作曲はすごい肉体労働らしくて、なにも暴れてらっしゃるわけじゃないのに、作曲してらっしゃると、どんどん目方が減っていくんですって?
武満 僕はそうですね。作曲をしてると、いちばん、痩せますね。一曲書けば、かなり痩せるんじゃないかなあ。(笑)
黒柳 ふ、ふ、ふ……どしてかなあ。
武満 そりゃわかんないですけど、まあ、それは結局、才能がないから、七転八倒、苦しむからですよ。
黒柳 いいえ。だって、ずーっと坐ってらして……あれですか、作曲のお仕事っていうのは、坐ってらっしゃると音楽が浮かんでくるの? 具体的には。
武満 そういう幸福な状態っていうのは、今まであんまりないですけどね。でも、そりゃたまにはあります。たまに、非常によく聴こえてくる時があるしね。
黒柳 そうすると、それをパーッと書いて……。
武満 それを書きますね。だけど、それが必ずしもいいっていうこともないんですね。
黒柳 じゃあ、やっぱり七転八倒したときがいい?
武満 うーん、そうもいえないしねえ。まあ、物理的な時間とか、体力とかをかけて書いた作品に、愛着はあるけれど、必ずしもそれが音楽としていいかどうかはわかんないですね。さーっと出てきたときに、とってもいい場合もあるし。ほんとは素直に出てこなきゃいけないんでしょ、音楽は。だけど、なかなか出にくいっていうようなことがあるんじゃないかな、今。
黒柳 ショパンの恋人だったジョルジュ・サンドが書いてるのを読んでたら、ショパンがピアノのとこへ坐ると、音楽が……ふ、ふ、ふ……「音楽が、ショパンの上に下りてくる」っていうのね。作曲家ってそういうもんかなと思ったんだけど。(笑)
武満 うん、それは、ある時代でしょうね、たぶん。
黒柳 ああ、なるほどね。
武満 そういう時代はあっただろうと思うんです。
黒柳 あ、話、またちょっと変えますけど、武満さんが新婚時代ですか、作曲なさるのに、ピアノもなくて作曲してらしたら、ある日、いきなりピアノが届いたことがあるんですって?
武満 うん、そう。それもさっきの切符の話じゃないけれど、僕はとっても恵まれているっていうのかなあ、それはぜんぜん知らない人から、突然……結婚してすぐですよ。間借りしてる家へ運ばれてきたのね。
黒柳 どんなピアノ?
武満 アメリカのピアノでね、アップライトの。とってもいいピアノです。
黒柳 へーえ。
武満 ゴルブランセンっていうピアノですけどね。それは、黛さんっていう作曲家が……その頃、非常に新進の、僕のちょっと先輩ですけれど……その頃、もうとても有名だったの。今でも有名だけれど。
黒柳 黛敏郎さん?
武満 うん。
黒柳 お知り合いだったの?
武満 いえ、面識なかったです。
黒柳 へーえ。おもしろいのね。
武満 もちろん、誰か人を通しては知ってたし、僕は黛さんの作品はもちろん知ってたし。黛さんもなんかでたぶん僕の仕事は知ってただろうと思うんです。それで、そのピアノを使って下さいっていうことで……。黛さんも結婚したての頃で、奥さまもピアノをもってらして、二台になったから、一台使っていい、っていうことでね。そんなこと考えられないでしょう?(笑)
黒柳 (感心して)ほんと、考えられない。
武満 僕が今、自分だったら、そんなことができるかなと思うけれど。
黒柳 ねえ。
武満 でも、あんなに嬉しかったことはなかったなあ。それで会いに行ったんですよ。それで知り合いになって、友だちになった。
黒柳 はあ。
武満 それから、いろんな人と、いっぱい知り合いになって……。
黒柳 武満さんは、ほんとに、作曲家のお友だちもそうでらっしゃるけど、あと詩人、劇作家、作家、それから画家、そういう方とたくさんお友だちでらっしゃる。
武満 はい。僕がいちばん恵まれてると思うのは、友だちですね。友人がみんな、良い方ばっかりで。まあ僕は、どうして音楽家になったのかも、よくわかんないんだけどね。
黒柳 でもそれだけの才能が、そのジョセフィン・ベーカーのレコードで引き出されたってことはやっぱり……。そういうことってあるんですねえ。もしその時お聴きにならなければ……。
武満 うん、そうですね。そうじゃなかったら、ちがうほうへ行ったでしょう。
黒柳 でも、いずれにしても、きっと、またちがうことで……。
武満 探偵小説家になりたいと思ってたんです。その頃ね。
黒柳 探偵小説家?! 探偵小説と音楽と似てるとこあります?
武満 あんまりないでしょう。
黒柳 アハハハ……そうですか。でも、人をどんどん引っ張っていくとか、そういうところはやっぱり……。
武満 僕は、まあ専門家になったわけですけれど、こんなにどんな音楽でも好きな専門家っていうのは……。だいたい、どうも専門家っていうのは、あんまり音楽聴かなかったりする人が多いですよ。でも僕は、年じゅう聴いてるし、年じゅううたってるしねえ……。
黒柳 どんな歌、おうたいになるの?
武満 なんでもうたいますよ。『北の宿から』でもうたいますよ。(笑)
黒柳 は、は、は。でも、作曲家の方って、よく音痴の方いらっしゃるけど、武満さんはちがう?
武満 僕は、自分では音痴じゃないと思ってるけど……。でも音痴っていうのは、どうも、自分では判断できないですよ。
黒柳 ハハハハ……そうか。今度うたっていただこう。……あの、たいへんな作曲家のストラヴィンスキーという方が、武満さんの音楽を非常に評価なすって、「厳しい音楽だ」と。
武満 あの方のおかげですね。それまで僕の音楽は評判が悪かったですから、日本で。それから少しよくなったんです。
黒柳 そうですか。ご自分で指揮はなさらないの?
武満 いいえ、したいけれど、できないですね。自分の悪いとこばっかり気になっちゃうから。
黒柳 はあ。そうすると、ご自分の、こういうふうに演奏してほしいということを、指揮者にお伝えになる?
武満 そうです。
黒柳 でもほんとに、そういう、日本の作曲家が海外で評価されるのは、ほんとにすばらしいけど、日本の中の評価も、ますます高まることをお祈りして……。
 どうもありがとうございました。
(テレビ朝日 「徹子の部屋」 1977年2月4日放送)
 
2曲(どちらも既出ですが)紹介します
1曲目
Corona For Pianist(s) written by Toru Takemitsu Tokyo Realization 1 「ピアニストのためのコロナ 武満徹作品1」/ Jim O'Rourke 2006年
https://www.youtube.com/watch?v=fiAKS3i7bfA
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ジム・オルーク 「コロナ―東京リアリゼーション

2曲目
Rain Tree 「雨の樹」/ Sumire Yoshihara 1986年
吉原すみれのパフォーマンスで紹介したかったのですが、動画が存在しないので、オリジナルでどうぞ
https://www.youtube.com/watch?v=yOsr8inpRZ4
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吉原すみれ 「パーカッシブコスモス SUMIRE

P.S.
「武満徹対談選 仕事の夢 夢の仕事」を購入したのは、何も「徹子の部屋」を再現したかったからではありません
うちのブログの古くからの常連さんなら大体予想が付くとは思いますが、本書の「購入目的」である対談相手が真打として次回登場しますので、乞うご期待(笑)

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