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アルファ・レコード 中編 [ミュージック]




前回の続きです
海外進出に向けてのYMOプロジェクトがいよいよ開始されます

まず行われたのは、ファースト・アルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』の、米国向けの“お化粧直し”である。79年2月、細野はLAのA&Mレコード本社まで赴き、アル・シュミットと共にミックスをやり直す。その結果、東京ミックスよりもエコーが深くかけられ、内容も手直し(「Acrobat」削除、「東風」へのヴォーカル・ダビング)された“2枚目のファースト・アルバム”が制作された。ジャケット・デザインも一新され、米国ヴァージョンの表側はウェザー・リポートの『ヘヴィー・ウェザー』などを手がけたルー・ビーチによる電気コードが生えたゲイシャ・ガールのイラストという突飛なもの。ジャケ裏で、山積みされたシンセ機材の横でコードを持って無表情に突っ立ったメンバーの写真は、テクノロジーを武器に海外進出する日本企業の姿をキッチュに表わしているかのようだ。A&Mの手で全く新しくリ・パッケージされたファーストのジャケットを見たアルファの社員たちは、「これがアメリカ人の感覚で捉えたYMOの音楽なのか」という新鮮な衝撃を感じたという。それは、外国から輸入した文物に手直しを施して輸出する加工貿易が得意だった日本人が、文化的に逆の体験をした不思議な瞬間だった。

3月、勢いに乗るYMOは早くもセカンド・アルバムのレコーディングに入っている。
5月、ついにYMOのファーストがアメリカで発売され、6月にはA&M首脳陣を日本に招いたデモンストレーション・ライヴが行われた。このライヴは六本木の<Bee>という、今でいうところの“セレブ御用達”的な、一般人には敷居の高いディスコを借り切って、マスコミとアルファ/A&M関係者のみを集めて行なわれた。
「すごくいい演奏でした。それとYMOが赤い人民服で初めて登場して、身ぶりも何か中華人民風というかパロディみたいな感じでね。メンバー紹介の時には両手を胸の前に掲げて大きなジェスチャーで拍手したりして、それが怪しくて面白いんです。で、いざ演奏してみると凄く高レベルで新しい音楽をやっているでしょう? そのギャップがA&M側に大受けでね。その前後に、“ウチも金出すからアルファも出せ。ツアーをやろう”って話が出たと聞いています」(宮住俊介)
日本ではまだ確固たる売り上げ実績すら持たないバンドは、一足飛びに海外ツアーに出ることになり、その前哨戦が夏に行われることになる。
グリーク・シアターはLAにある巨大な野外音楽堂である。8月3日から三日間、A&M所属のニュー・ウェイヴ系のグループ、チューブスのコンサートの“スペシャル・ゲスト”として、YMOはいきなり3000人の海外の観衆を相手に、その真価を試されることになった。

日本側のツアー・プロデューサーとして一行を統率していた川添象郎は、ステージ演出で、YMOが“日本のバンド”であることを強く打ち出すことにこだわった。
「西洋文化圏において、最も重視されることはオリジナリティなんだ。オリジナリティとは、その民族の伝統がベースになっていなければならない」。この、父・川添浩史が国際文化交流の事業において、アヅマカブキ(吾妻歌舞伎)という日本舞踏団のアメリカ、ヨーロッパでの公演を成功させた時の言葉を胸に刻んでいた川添は、アメリカにおける当時の日本人のイメージが“制服を着ている/無表情である/エレクトロニクスに長けている”であることを強調することにした。これをYMOに置き換えると、揃いの赤の人民服、無表情、コンピューター・プログラマーの松武秀樹が操作するどでかい機材をステージの中央にドッカと据えてそれに電飾を施しエレクトロニクス・ポップ・バンドのイメージを強調すること、となる。YMOは演奏が始まると、曲目紹介のMCなど一切せず、怒涛のようなメドレーで突撃し、拍手にもニコリともせずお辞儀もせず演奏に専念した。果たして、この演出と初めて聴くテクノ・ポップに、ロサンゼルスの観客は熱狂した。

『平凡パンチ』『GORO』など、日本から同行したメディア関係者たちはこの熱狂ぶりを目の当たりにしてそれぞれの媒体で紹介した。また川添はこの時に撮影した二日目と三日目の映像をすぐに日本に持ち帰らせ、NHKの報道番組で流れるように手配した。このライヴ・フィルムが後々、大いに役立つことになる。アルファの素早い動きによって、「日本のポップ・バンドが本場アメリカで大成功!」のニュースはほぼオン・タイムで日本に伝えられ、後の“イチロー現象”の時と同じように大きな話題となっていった。

YMOはいったん日本に戻ると、9月のチューブス日本公演の前座を務め、またとんぼ返りのように海外へ。10月下旬からいよいよワールド・ツアーが開始されたのである。同時に、日本ではセカンド・アルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』のプロモーションが開始された。当時、制作部でYMOのプロモーションを担当していた小尾一介は語る。
「ともかくあのLAのライヴ・ヴィデオが大きかった。当時はヴィデオ・ソフトが出始めた頃で、レコード店にもヴィデオ・デッキが置いてあるのが常態になっていたんです。そのインフラがあってあのヴィデオがレコード店で引っ張りだこになったんですよ。たくさんの店から“あれ面白いから回してほしい”って言われましたし、配給をやっていたビクターのセールスの人たちもあれは評判がいいと。YMOの海外での活躍がちらほら新聞にも出始めた頃だったし、いろんなことが相乗効果になって広がっていきました」

こうして日本国内で急速な高まりを見せた熱気を、メンバーとアルファのスタッフたちは、12月19日に行われた帰国凱旋コンサートで実感することになる。東京・中野サンプラザは満杯になり、通路までが人で埋まった。アルファのスタッフは自分たちが懸命に売る努力をした結果の大きさと、従来の国内アーティストとは違う、YMOが醸し出す“格”のようなオーラに圧倒されたという。
「有名な海外のバンドが来日しているっていう感じでした。日本人のグループなのに、なにかドメスティックではない不思議なオーラが出ていた」(小尾)

今日の1曲
前座のYMOではなく、メイン・アクトのザ・チューブスです(笑)
She's A Beauty 「シーズ・ア・ビューティー」/ The Tubes
https://www.youtube.com/watch?v=mQ_k_VG6Syc
品の良い(イメージのある)A&Mになぜチューブスが在籍していたのかは、当時の七不思議の一つでした
この曲は、キャピトルに移籍し、デビッド・フォスターがプロデュースで、毒が中和され(=AOR化して)初めて放った全米トップ10ヒット・シングルです
でも、ヴィデオでは、俗悪さ、キワモノ感がしっかり残っていて、なぜだかホッとしてしまいます
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Outside Inside

アルファ・レコードもう1回やります


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