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アルファ・レコード 後編 [ミュージック]




「アルファ・レコード」シリーズ
アルファ・レコード 前編
アルファ・レコード 中編

そして、今回が最終回です
YMO人気は80年にピークを迎えますが、その結末部分についても触れておきます

80年秋から暮れにかけてのツアーでYMOはポップな仮面を外し始める。そして81年3月に発売された待望の新作『BGM』。このタイトルは自分たちの音楽があまりに広範囲に流行し、安易に聴かれていることへの皮肉ともとれる。独特の陰影を持つ音質で展開する新しいYMOの世界は明るく楽しいテクノ・ポップとはほど遠い、隅々までニュー・ウェイヴの精神に貫かれた先鋭的なものだった。
この時点から、アルファが打ち立てた“海外で日本独自のポピュラー・ミュージックをヒットさせる”という最初の目的とYMOの音楽がずれ始める。「ファイヤー・クラッカー」のキャッチなディスコと『BGM』の間には果てしない距離が横たわっている。
「ビジネスとして考えた場合に、YMOのファースト・アルバムやシングル<ファイヤー・クラッカー>にやっと火がついたくらいのところで、それとまったく違う音楽を作ったらせっかくついてくれたお客さんは戸惑って買わなくなっちゃうでしょう。特にアメリカの地方都市のお兄さんお姉さんみたいな素朴な人たちには全然アピールしない。で、自分としては当時“いったい何をやろうとしているのかまったく理解できない”と、この状況に対してかなり強烈なメッセージを発したことがある。自分の発言の意図はさっき言ったとおり。要するにこっちはちゃんとビジネスを考えているのに、ここでその段階を踏む作業から外れてはいけない、と。ただ、その真意は本人たちには…たぶん伝わらなかったんじゃないのかな」(村井邦彦)
「いったい何を…」というのは、YMO単体というより、アーティストを取り巻く状況全体に対しての発言であろう。村井としてはYMOが音楽家として最先端の表現を取り入れたいという意図は理解できても、もう少しの間は最初に売り出した音楽、エキゾチック・ディスコや分かりやすいテクノ・ポップの路線で地盤を固めておいてほしいというビジネス的な判断があったはずだ。なぜならばアルファがYMOの海外進出をプランニングした際の最も重要なターゲットはアメリカで、海外発売の窓口になったA&Mもアメリカのレコード会社だからである。アメリカという国は非常に広大なマーケットを持つが、この当時は日本やイギリスよりも新しい音楽を受け入れる速度が特に遅かった。狭い島国でマーケットも小さい日本やイギリスでは、全く新しい音楽があっという間にマーケットを席巻することがあるが、それはアメリカでは通用せず、執拗なまでのツアーやプロモーションを手広く行って、年単位で攻略しないとものにならない。大きい胃袋を持ってはいるが、その広大さゆえ、簡単に消化、吸収してくれないのがこの国なのだ。だが81年当時の、特にイギリスにおけるロックの潮流は非常にスピーディーなものであり、それとは相反する。YMOがアーティストとして先鋭的なイギリスのシーンとシンクロすることを選んだのか、それとも日本国内でこれ以上売れることに個人としての存在が脅かされるような危機感を感じたためなのか。とにかく『BGM』の音は、通俗的な親しみやすさが影を潜めた。かといって『増殖』のようなギャグもなく、何か口当たりのいいお菓子を与えてもらおうと期待するような消費者にはハード・ボイルドに感じられたことだろう。かといって、イギリスのニュー・ウェイヴ勢の中に入っても遜色のないサウンドは、A&Mがアメリカで大きく売り出せそうなとっかかりには欠ける。日本の大衆でもアメリカの大衆でもない、敢えて言えば世界中の先鋭的なファンに向けられた作品が『BGM』だった。それは一部のロック・ファンには違和感がなく耳に入ってきたが、「そういうものを少年少女が喜ぶとは思っていなかったけれど」(坂本龍一)という言葉通り、「テクノポリス」や「ライディーン」でついた浮動票的なファンは『BGM』の非ドメスティックな音楽に戸惑った。ところがアルファの現場レベルでは従来の国内での人気を背景に、「これまでのYMOだってけっこう前衛的だったんだから、今度だってプロモート次第でいけるはずだ」という空気もあり、ますますコントロールは難しくなっていった。アルファの世界戦略は、YMOの国内での予想を遥かに超える人気の爆発に足元を掬われるという皮肉な成りゆきを見せ始めていた。

そして、「総括」です

確かにYMOは世界にその影響を残した。だが筆者が今の視点から見ると、影響を生むような種だけを蒔いてすぐになくなってしまったような印象もある。芽が出た時には彼らの姿はそこにはなかったのだ。最初のオリエンタル・ディスコ路線の芽がアメリカで出かかっていた時に、まるでそれに取り込まれることを回避するように、YMOは先鋭化した新しい路線に自ら転換し、大衆的なシーンから遠ざかった。さまざまな理由があるにせよ、あともう少し粘れば世界の音楽シーンにもっと深く太い影響の印を残せたのではないかと思うことがあるのだが…。
「YMOの天下が長続きしなかったことですか? 今思うと日本人は体力なかったなあと(笑)。自分も含めて、なんかあっさりしてたね、今思うと。メンバーたちも、それを後押しする役目の僕たちも、“やれないのならしかたない”って。なんか粘れなかった。あそこまでやったら、本当はもっと貪欲に成功を貪ってね。それも反省と言えば反省かな」(村井)

YMO全米ヒット・チャート全記録
BILLBOARD HOT 100 (全米シングル・チャート)
60位 コンピュータ-・ゲーム (1980)

BILLBOARD 200 (全米アルバム・チャート)
81位 イエロー・マジック・オーケストラ (1980)
177位 増殖 (1980)

ここで私自身の感想も述べておきますが…
日本人アーティストとして健闘したとは思いますが、国内での人気沸騰(『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』1位、『増殖』8位、『パブリック・プレッシャー』10位、『イエロー・マジック・オーケストラ』32位)と比べると物足りない
YMOが最もYMOらしかったセカンド・アルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』がアメリカでは200位圏外、そこからカットされた「ライディーン」や「テクノポリス」も不発で、シングルではリップス・インクの全米No.1ヒット「ファンキー・タウン」のパクリのような「コンピュータ-・ゲーム」しかチャート・インしなかった、という事実はアメリカ攻略の難しさを改めて思い知らされます
世界制覇=アメリカ制覇という先入観(?)、ビジネス・パートナーとなったA&Mがアメリカの会社であったことなどから、いきなりアメリカへの侵攻になったのだと思いますが、後期YMOのニュー・ウェイヴに親和性の高いサウンドなどから判断すると、まずはイギリスをターゲットとして、そこでしっかり実績を築いてからブリティッシュ・インヴェイジョンの一員としてアメリカ攻略を狙っても良かったのでは、という気がします
今さらこんなことを言っても仕方のないタラレバの話ではあるのですが、YMOのポテンシャルの高さ、A&Mというこれ以上ない相棒の存在(A&Mなら当然ヨーロッパへの販売ルートも備えていたはず)を考えると、もう二度とないチャンスだったのかも知れないのにと、ついつい妄想してしまいます

A&Mのその後についても付け足しておくと、日本での配給元は1986年にアルファからポニーキャニオンに移ります
そして、その後A&Mはイギリスのポリドールに子会社として買収され、さらにポリドールがカナダの酒造メーカーのシーグラムに買収されたと思ったら、そのシーグラムが破綻し、それをフランスのヴィヴェンディが承継、A&Mはヴィヴェンディの音楽部門であるユニバーサル・ミュージック傘下に組み入れられたとのことです
グローバル企業の弱肉強食サヴァイヴァル競争は壮絶の限りです

さて…
アルファ・レコードの洋楽盤からメイド・イン・UKの3曲を紹介しておきます
今日の1曲目
まずは、ミュートのイレイジャー
Ship Of Fools (Shiver Me Timbers Mix) 「シップ・オブ・フールズ」/ Erasure
https://www.youtube.com/watch?v=LI9wcfsKeq0
イレイジャーのアメリカ上陸初ヒットは1988年、『ザ・サーカス』からの「 ア・リトル・リスペクト」でした(12位)
「シップ・オブ・フールズ」はアメリカでは不発でしたが、個人的にはこちらの方が遥かに好み
特に、この長尺版「シヴァー・ミー・ティムバーズ・ミックス」は深い陰影が感じられて絶品です
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ザ・サーカス
CDシングルも持っています
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シップ・オブ・フールズ シヴァー・ミー・ティムバーズ・ミックス c/w RCミックス

今日の2曲目
ベガーズ・バンケットからラヴ・アンド・ロケッツ
So Alive「ソー・アライヴ」 / Love And Rockets
https://www.youtube.com/watch?v=-L41MhFPU9s
ラヴ・アンド・ロケッツなんてアメリカでは絶対に受けないと思っていましたが、1989年にこの曲が第3位まで上昇
アンビリバボーの大事件でした
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ラブ・アンド・ロケッツ

今日の3曲目
なぜかフロック・オブ・シーガルズのジャイヴ編集盤もアルファから出ていました
I Ran (So Far Away) 「アイ・ラン」/ A Flock Of Seagulls
https://www.youtube.com/watch?v=0_Pq0xYr3L4
「アイ・ラン」は1982年に全米第9位まで上昇
ルックス駄目駄目なんで日本のリスナーからは軽視されまくりですが、「スペース・エイジ・ラヴ・ソング」や「ウィッシング」もアメリカでヒットし、80年代ブリティッシュ・インヴェイジョンの一翼をしっかり担いました
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ベスト・オブ・フロック・オブ・シーガルズ


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